第12話 シンデレラのえんじスリッパ
「俺はさ、聞いてたよ。」
「え?」
「真野くんの、アナウンス」
松原くんは僕を見てにっと笑った。その笑いにどういう意味が含まれているのか僕にはわからなかったが、少しだけ身体に力が入った。
「そうなんだ。どうだった?」
僕はよく考える前に、彼に聞いていた。正直なところよくわからない。僕にとってあのアナウンスの時間は一瞬過ぎて、そして緊張の余り自分がどのように読んだのか、声を発したのか、ほとんど覚えていなかった。
「うーん…」
「………」
松原くんは考え込む。何で考え出すんだろう。僕の心臓は段々とドクドク騒がしくなってきた。
「あのね、よくわからん」
「へ?」
「俺には、よくわからん」
「………」
「うまかったとか下手だったとか、どうして木村部長があんなにプッシュするのかわからんて意味じゃなくて」
「………」
「いや、わかんないのか。芝居は今まである程度見てきて、これは失敗してるなーというのはわかるけど、芝居じゃないもんなあ。掛け合いじゃないというか、だからって一人芝居の類と言えるものでもないし…」
なんかブツブツ言いだした。わからないならわからないで、こっちは構わないんだけどな。
「うん、あのね、俺にはアナウンスのことは多分全然わからないんだけど、」
「うん」
「でも、自分の身体の中にすっと言葉が入ってくる感じはあったな」
「…ん?」
「聞こう聞こうとしなくても、聞き手の身体の中に入ってくる感じ。どんなに発声が良くて滑舌もいい感じでも、こっちに声が届かない、入ってこない人っているんだよ。声の大小とかでもなく。不思議だよな。だから、真野くんは、それができてたんだよな。」
「…あの、多分褒めてくれてるんだと思うんだけど、」
「めちゃくちゃ褒めてるよ!何言ってんだ!」
「あ、ありがとう」
「どうしてそうなるのか、まだ俺には上手く説明できないんだけど。うん。でもそこだけは少なくとも良かったと思う。中学の時も普通に下校アナウンスって流れてたと思うけど、あ、こんな言葉で言ってたんだなってしみじみ思ったよ。真野くんの聞いて。あ、なんか俺ほめ過ぎてるな?やめやめ!とにかく、どうするつもりかわからんけどオーディション中止は徹底的に阻止するからな!それだけはゆるさん!」
松原くんは人差し指を僕にビシィ!と差して最後のセリフを決めながら去っていった。僕と同じ方向だから、6~8組のどこかなんだろう。確かになかなか決まっていた。ラストカット。
「誰、あれ」
「うわっ前田!」
「…なんでそんなに顔赤くしてんの」
「えっ」
僕はぎょっとした。反射的に両手を頬にあててみる。顔が熱くて、手がひんやりしていて気持ちいい。僕に馴染みの感覚。顔が赤くなっている証拠だ。
「もー、何なんだよ」
初めてちゃんと褒めてもらえた。何が良かったのか、どう感じたのか。言葉を伴って、聞いた人のその時の感覚まで伝わってくるような、そんな贅沢な誉め言葉を初めてかけてもらえた気がする。
これは純粋に、嬉しいと思った。照れ臭かった。でもこれいつから赤かったんだろう。松原くんにはどう見えてたんだろう…ちょっと不安になってきた。
ふと前田を見ると、しっかり戦利品をゲットできたみたいだった。焼きそばパンはないけど、クリームパンとジャムパンと…
「お好み焼きパン。」
「じゃ、俺は部活行ってみるわ」
「うん、行ってらっしゃい。じゃあね」
前田はこれから正式に囲碁将棋部として、初の部活参加だ。
僕はというと、正直まだ迷っていた。今日またどこかの部活動を覗いてみるか、どこにも寄らずに帰るか。一度ゆっくり時間を使って考えるのもいいかもしれない。
とぼとぼ教室を出て、下駄箱に向かう。授業が全て終わって、ホームルームも終わって、部活へ行く前田にじゃあねと行って、下駄箱へ向かうコース。中学までの生活と全く一緒だ。
僕たちの学年カラーの、えんじ色のスリッパを眺めながら思った。何でこんな微妙な色の年に当たってしまったんだろう。学年カラーはえんじ・緑・青の三色がローテーションされて決まる。去年まで3年生だった学年がえんじ色の年で、彼らが卒業して次の新入生の僕たちにえんじ色が回ってきたのだ。
ボンッ
誰かの、大きな背中に思いっきりぶつかってしまい、僕は久しぶりに盛大に尻もちをついた。尾てい骨がツーンと痛い。
「ご、ごめんなさい!」
顔を見上げようとする前に、相手の足元が視界に入る。右足は僕と同じえんじ色のスリッパだが、左足は緑色のスリッパをはいている。あれ…?
「あ、真野くんじゃん!」
昼間に遭遇した高身長イケメンの彼は、眩しいくらいの笑顔を僕に向けていた。
「え、あ…松原くん!」
「と、いうことで、真野くんを連れてきました。」
「……」
一瞬しーんと静まり返る。ぱっと見た感じ少しだけ女子が多いが、男子もそれなりにいるようだ。別に敵意のような類のものではない、しかし独特のピリッとした空気が、ここ演劇部の部室に張りつめていた。