第25話 抹茶ミルクキャンディ
部活を終えて携帯を見たら、前田から連絡が入っていた。
『校門で待ってる』
急ぎ足で校門に向かうと、前田が本を読みながら待っていた。
「ごめん、お待たせ」
「いや」
「それ、何読んでるの?」
「『新猿楽記』」
「え?」
「先輩が読んどけって」
「囲碁将棋部の?」
「そう」
「ふーん」
僕たちはいつも、校門から出てすぐ右の坂を上っていく。上った先は住宅街で、その中に、先週の問題の目撃現場となった公園もあるのだ。
坂はちょっと上り始めると少しハアハア息切れするくらいの勾配で、もちろんずっとサッカー少年だった前田は全然平気そうなのだけど、僕はダメだった。その肉体的な負荷によるものなのか、僕の気持ちは何故かそわそわ落ち着かなかった。前田に色々話をしたい気持ちだったけど、何と言ったらいいのか、何を話したらいいのかわからなかった。
「そういやさ、」
坂の頂上まではまだまだ距離がある。前田は相変わらず平気そうだ。
「部活行ったら先輩に聞かれた。あの松野先輩のやつ」
「え、前田も!?」
「あ、放送部も?」
「聞かれたよ。なんか今の3年生のいっこ上の学年の、放送部の先輩が松野先輩と色々あったらしい。なんだっけ……9?9股してたらしくて、松野先輩は10人目の男にされそうになったみたいだよ」
「なんだそれ、9股?すごいな」
「うん、僕には刺激が強すぎた。高校生って激しいね」
やっと坂の頂上に近づいてきた。このまままっすぐ進んで右に曲がってしばらくしたところに、公園がある。
「生徒会でも松野先輩は要注意人物らしい。あんまり関わらない方がいいって」
「みんな口を揃えてそう言うんだね。生徒会にまでマークされてるなんて」
「うん。あと、もう一人いる。要注意人物」
「えっ、誰……」
僕が前田に尋ねようとした瞬間、声が詰まってしまった。角を右に曲がると、件の人物。
「……あんた、本当に誰にも言ってないんだよね?」
坂巻あんずさんが、僕たちの目の前に立っていた。
もうだいぶ陽が落ちてきて、周りが暗くなってきているのもあるのかもしれないが、少し疲れた顔をしているように見えた。
「言ってないよ、誰にも。でも朝学校に着いたら、もう……」
「楓……松原があんたをものすごく庇うから、よくわかんないけど」
たしか朝、楓くんもそう言ってくれていたな。
「うん、僕も事情はよくわからないけど、わからないくせにあれだけど……松野先輩に関わるのは辞めて、このことはすっかり忘れた方がいいんじゃないかな。」
坂巻さんが、キッと僕を睨む。
「あ、いや本当に何も知らないんだけどさ……坂巻さん、松野先輩のこと好きだったの?」
坂巻さんと、前田も、僕の方を見た。
「……好きじゃないよ」
しばしの沈黙の後、小さい声で坂巻さんが答えてくれた。
「好きじゃないけど、わたしから近づいた。だから、反省はしてる……」
「どうして」
「あんたにはわからない。わからないよ」
「そうかもしれないけど……」
「やりたいことのために、がむしゃらになったことあるの?」
思わず坂巻さんの顔を見てしまった。彼女の頬には、涙の跡が一本伝っていた。
「わたしは、絶対にやりたいこと、叶えたいこと実現させて見せる。あんたも入れたから。『将来絶対に見下してやるリスト』。失敗したからどうとか、他人にどう見られるとか、そんなの関係ないから。そんなのでわたしの人生台無しにしたくない!」
彼女はそう言い放って、走り去っていった。
正直、からっぽだ。坂巻さんからぶつけられた言葉たちによって、何も考えられなくなってしまった。
でしゃばったマネをしてしまったのは確かだ。本当に何も知らない僕が、軽々しく発言するべきではなかった。
僕はそうだ。やりたいことのために、がむしゃらに頑張ったこと、ない。
「真野」
「……あ、ごめん」
今僕は、どんな顔をしてるんだろう。坂巻さん、さすが役者さんだから泣いてる顔も何だかサマになってたな、などと思い出している僕。
「これ。飴ちゃんあげる」
何かと思えば、抹茶ミルクキャンディ。思わず笑ってしまった。僕は抹茶が嫌いなんだ。
「だからさ、僕抹茶嫌いだって言ってるじゃん」
「この抹茶は大丈夫なやつだって。騙されたと思って食べてよ」
「そう言って今まで何回ダメだったと思ってるんだよ!」
「そうだっけ、幸和堂の抹茶ロールは大丈夫だったでしょ?」
「あ、うん、抹茶ロールは……」
前田がクスクスと笑う。
「あとさ、下校アナウンスこれからもちょくちょくやるの?」
「あ、うん。しばらくは下校アナウンスは僕が担当する」
「先輩にそれも聞かれた。アナウンス流れた時に、これ誰だろうって聞かれたから、俺のダチですって」
「え?」
「自慢しちゃった」
一気に、顔が熱くなるのがわかった。前田の顔は見られなかった。そう、とか何とか言って、僕は足早に前田と別れた。顔が熱い。この顔を見られたくない。でも、何よりも嬉しいっていう感情でいっぱいになっていることは、この時ははっきりわかった。
早歩きをしながら、さっき前田にもらった抹茶ミルクキャンディを口に放り込む。
「やっぱり、苦いよ」
そう小さくつぶやいて、苦くて甘い飴玉を舐めながら僕は家へと帰っていった。