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第30話 指さす先が見えなければ

2022年10月19日

「お~真野、無事に到着か。どうだ、初めての健脚会は?」

特設ステージ近くにいくと、教員と複数名の生徒たち(生徒会だろうか?)がいそいそと機材の準備等を始めていた。

顧問の石川先生は白のTシャツに、首元にタオルを巻いてやる気満々の様子だ。

「疲れ果てました。もう僕は先輩方の勇姿を余すことなく目に焼き付けるべく大人しく見学させて……」

「おいおい! 何言ってんの! いや、でもまあ無理はしちゃだめなんだけどさあ~」

「石川先生、ちょっと邪魔です。真野くん顔色悪いね。ちょっと隅っこで休んでな。なんとなく見学してればいいから」

副部長の吉森先輩は、今日は髪の毛を編み込みにしていていつもとちょっと雰囲気が違う。

「無茶な遠足だよね、ほんとうに。わたしも嫌いだわ」

さきぽん先輩はタオルを頭巾みたいにして日よけにしている。僕も来年からはタオルで日よけ必須だな。

すみません、と頭を下げて、すぐそばの特設ステージの白い壁にもたれかかるようにして座った。背中がひんやりしていて気持ちいい。高校生になりたての、まだまだピチピチ15歳なのに、この体たらくは恥ずかしい。

すると突然、左頬に強烈な冷たさを感じた。

「うわああああああ!!!!!」

びっくりして左を見上げると……そこには見覚えのあるメガネ(失礼)があった。

「あ、あきちゃん先輩」

「大丈夫? これ良かったら飲んで」

気持ちよく冷えた、スポーツ飲料水。正直、めちゃくちゃありがたい。

「え、いいんですか……」

「うん、飲んで飲んで」

「ありがとうございます」

このまま素直に受け取ってしまっていいのか一瞬悩んでしまった。今思い返してみると、僕はあきちゃん先輩に対してとんでもなく生意気な態度をとってしまったのではないかと今更ながら不安になってきたのだ。でも、僕がペットボトルの蓋を開けるまできっとこの人はこのまま動かないだろうと感じたので、大人しくいただくことにした。

「ごめんね、あんずのことで迷惑かけたね」

思いもよらない名前が出てきて、飲み物を吹き出しそうになった。

「ゴホッ、えっ……え?」

「全部聞いたし、俺が話をつけといたからもう大丈夫だと思うけど」

「あ……」

そういえばあの騒動、急にピタッとほとぼりが冷めたなと思ったけど。

「あきちゃん先輩が、何かしたんですか?し、締め上げたとか……?」

「あはは、真野くんておもしろいよね。大人しくてお利口さんタイプかと思いきや、結構ズバズバ切り込んでくるよね」

「あっ、す、すみません本当に」

「まあでもそんなようなものかも。締め上げた、うん。締め上げたかも」

「……そんな笑顔で言わないでください」

この人は一体何者なんだろう。やっぱり、あまり深く関わらない方が良いと、僕の身体は危険信号を出している気がする。

「あきちゃん先輩は、付き合ってる恋人とか、いるんですか?」

「え?」

「恋人いるんですか?」

「どうして、急に」

「いえ、すみません。気になって」

「内緒」

「……ってことは、いるんですね」

「真野くんて本当におもしろいね」

あはは、と軽く笑う。瞳はつめたい。

「そうそう、もう知ってると思うけど。演劇部の新入生お披露目公演、真野くんの案採用されたから」

「あ、聞きました。観に行くつもりです」

「投票もあるから、よろしくね」

「はい」

「一個言っておくけど」

「はい」

(かえで)はオーラとか華はあるけど、芝居自体はそんなに上手じゃないから」

「……」

「実力的には、あんずの方が上なんだよ」

「……僕にそんなこと言って何の意味があるんですか」

「うん」

「だいいち、僕とか素人にはお芝居が上手いとか下手とか、わからないと思います」

「うん、そこも問題だよね」

「……」

「真野くん、俺のこと嫌いにならないで。もう嫌いかもしれないけど」

「……」

「今のそのままの感じで、これからも仲良くしてくれたら嬉しいな」

「……」

「あと、今日初めて人前に立って話すんでしょ?」

僕は居たたまれなくてあきちゃん先輩からしばらく目を背けていたが、そのセリフを言われて反射的に顔を向けてしまった。

「楽しみにしてるから。放送室でマイクに向かってしゃべるのと、大勢の人前でしゃべるのとじゃ全然違うと思うよ」

「……あ、」

言葉が出ない。恐ろしい人だ。この人は誰かを応援する気持ちもないし、寄り添う気持ちもないし、目的が、その言動の目的がわからなくて恐ろしい。僕とか周りの人が考え及ぶより、はるか遠くを見つめているような気がする。遠すぎて、そんなんじゃ誰もついていけないよ。

「あの、真野くんに何か用?」

「ああ、副部長」

吉森先輩だ。

「いじめないでくれる? 真野くん、大事な大事なうちの新入部員なの」

「わかってるよ。放送部にとられちゃって悔しいから、見苦しく媚び売って引き抜こうとしてた」

「は? やめてよ。近づかないで」

「それは無理かな、真野くん逸材だし。それじゃ、真野くん頑張ってね」

あきちゃん先輩はニッコリ笑って、去って行った。僕と吉森先輩は黙って見送る。

沈黙。吉森先輩は怒っているのだろうか。こんな姿を初めて見た。

「真野くん、あいつと知り合いだったの?」

僕の方を見ずに、吉森先輩は尋ねた。

「あ、演劇部に勧誘された時に少しだけ……仲がいい演劇部の1年生の子の、先輩なんです。劇団?の」

「あんまり関わらない方が良いと思う。あの人頭おかしいよ」

そう言い放って、吉森先輩は準備が整い始めた音響ブースの方へと戻っていった。