第34話 ああ、音楽が鳴っている!
「そっか、遂に明日からなんだね」
水曜日の部活も終わろうとしている頃、楓くんたちが出演する演劇部新入部員お披露目公演を観に行くために明日と明後日2日続けてお休みしたいことを、吉森先輩に改めて報告した。
「すみません、2日連続で」
「ううん、前々から言ってくれてたしこっちは全然大丈夫」
全然大丈夫、と言いながらも吉森先輩の表情がいつもより少しだけ固い気がするのは僕の気のせいだろうか。ふと、健脚会での吉森先輩とあきちゃん先輩を思い出す。ものすごく仲が悪そうだったし、吉森先輩の前で演劇部の話を持ち出すこと自体何となく気が引けた。
「なんかさ、投票するんでしょ? 1日目と2日目どっちが良かったかって」
川崎先輩がチョコレートを頬張りながら近づいてきた。
「川崎~片付けまだ終わってない~。男子バージョンと女子バージョンのやつでしょ~? 真野くんの案なんでしょ~?」
「真野くんの案?」
みとちゃん先輩の問いかけに、吉森先輩がピクリと反応した、気がした。もう演劇部の話は終わらせたい。
「いや、僕というかなんというか、あれです、楓くんと雑談してる中で出てきた案というか、はい。ご迷惑おかけします」
「じゃ、電気消すよー」
さきぽん先輩に促されて急ぎ目に放送室を出ると、廊下で前田が待っていて、僕たちを見るなりペコリと頭を下げた。
「お疲れ様です」
「なんだよ、いつも校門で待ってるのに」
声をかける僕を無視して、前田は吉森先輩の元へ向かい持っていた大きい封筒を渡した。なんだよう。
「生徒会からです。来週の部長会議の資料、吉森さんにお渡ししてもよろしいでしょうか?」
「あ、ありがとう。前田くんこんなこともやってるんだね、お疲れ様」
「あの、部長の本内さんは欠席の予定で変わりありませんか?」
吉森先輩はその名前を聞いた瞬間、何故か僕の方をバッと見た。
「そうです、わたし一人で出席します」
「わかりました、ありがとうございます」
前田と吉森先輩の間に、沈黙が流れる。なんだろう……この不穏な空気みたいなものは。前田はボーっとしているように見えるけど、空気が読めないやつではない。だからこの何とも言えない微妙な空気だって、感じ取っているはずだ。吉森先輩の視線だって。
「仕事終了。真野、帰ろう」
「は!?」
「真野くん前田くん、お疲れ様あー!!」
手をブンブン振って見送ってくれている川崎先輩を後ろにして、前田はずんずん校舎を抜けて校門へ向かっていく。
「ちょっと待って、前田!」
「あれ、明日ってなんか差し入れ持ってくんだっけ?」
「あ、そうだった買いに行かなきゃ……じゃなくて! なんか知らないけど勝手に不穏な空気にして去っていくなよ」
「不穏? そう?」
あ、出た。わかっていてはぐらかすやつ。
「まあ厳密には前田だけのせいじゃないけどさ。明日からの演劇部の話したらなんかピリついて……吉森先輩の前で演劇部の話、なんかしづらいんだよね」
「大事な部員が演劇部に取られるかもしれないからじゃないの」
「それに吉森先輩とあきちゃん先輩、めちゃくちゃ仲悪いみたいでさ」
「あきちゃん先輩……それって演劇部の、水上あきらさんだよな?」
「え、あきちゃん先輩の本名ってそういうんだ。なんか、みんな爽やかな名前なんだなあ~僕なんて真野だよ真野。間抜けな響き」
「前田もなかなか間抜けだから」
「あはは、そうかな」
「真野、あきらさんと仲良いの?」
「え?」
「あきちゃん先輩って」
「あ~いや、楓くんがそう呼んでたからついノリで。でも別に仲は良くない、というか僕は正直ちょっと苦手」
「ふーん」
ちょうど校門を出ようとしたところで、奥の体育館の方から「お疲れ様でしたー!」という声のかたまりが響いてきた。おそらく演劇部だろう。明日のリハーサルを体育館で終えて、気合入れも兼ねての締めの挨拶だったのだろうか。もうすぐ晩ご飯の時間だというのに、こんなにもエネルギーに満ち溢れた声が出せるなんて、僕はちょっと自分を省みて少し落ち込んだ。この声の中に楓くんと、坂巻あんずさんの声も混じっているのかと思うと、なんとなく胸が暖かくなった。坂巻さんとはあれから顔を合わせていないし、ちゃんと謝りたいと思ったまま時間が過ぎてしまっているけど、彼女の頑張っている姿を素直に見てみたいと思っている僕がいる。
「なんか楽しみだなあ」
「三人姉妹、読んだ?」
「え?」
「明日三人姉妹やるんだろ? 予習したのかって」
「えっ何。前田、予習済み……?」
前田はおもむろにカバンから、『三人姉妹』と書かれた文庫本を見せてきた。
「差し入れ買いに行こう」
サラッと言い放って前へ進んでいく前田の背中に圧倒的敗北を感じて、僕は頭を下げまくって『三人姉妹』の文庫本を貸してもらった。
その夜僕は一生懸命『三人姉妹』を読んでみたけど、カタカナの名前の登場人物が誰が誰だか全然覚えられなくて、第一幕のクルイギンだかチェブトゥイキンだかが喋っているところで疲れ果てて眠ってしまった。それでも、明日がいつもより少しだけ楽しみでワクワクして、お芝居がうまくいくことを祈って、その感覚を胸に眠りにつけることが嬉しかった。