第36話 華
「ほんっとにありがとなー!!!」
「ぐ、ぐるじい楓ぐん」
身長178㎝の男子に全力で抱きしめられると、本当に身の危険を感じるほど痛くて息ができなかった。
「来てくれるだけで嬉しいのに、差し入れまでありがとうな」
ニカッと笑う、女の子の格好をした楓くんはそれでもめちゃくちゃかっこいい。
「あの、ごめん、西洋風の甘いものが苦手だって知らなくて……」
「ワッフルを買ってきました。メープル味」
突然敬語になる前田。僕もドキドキしている。
「え、いやすげー嬉しいよ! ありがとう! 赤星は、どら焼き。ははは、あいつもわざわざ気を使ってくれたんだな~ありがたし!」
相変わらず輝きを放ち続ける楓くんの笑顔にちょっとだけホッとして、前田と顔を見合わせた。
約1時間強の舞台が無事終演した。
本当に、出てくる人出てくる人全員男子部員だった。そして女性役の人は当然のように女装をしているんだけど、何だかそれもしっくりきていて、思った程違和感も感じずに観ることができてびっくりした。
三女のイリーナ役を全うした楓くんは、開演して緞帳が上がるともう既に舞台上に立っていた。正しくは何ていうのかわからないけどアンティーク調の可愛い真っ白なワンピースを着ていて(長身の楓くんにもサイズぴったりの様子だったので、わざわざ作ったのかな?)、つやつやの茶色の、肩くらいまでの長さのカツラを被っていて、考え事をしている様子で椅子に座っていたのだ。
それだけなのに、本当に眩しいくらい彼は輝いていた。ああ、また楓くんのファンはグッと増えるんだろうなあ。眩しいんだけど、どうしても楓くんを目で追ってしまう。目が焼けてしまうかもしれない。場面的にイリーナはそんなに大事じゃないところでも、僕は楓くんを見てしまっていた。
楓くんばっかり見てるし、第一幕までは辛うじて予習してきたからよかったものの、第二幕に入ってからはだんだん物語を追えていない気がしてきてちょっと焦っていると、ふと左肩に重みを感じた。
前田が、寝ている。おいいいいい! とすぐさまツッコミを入れたかったけど、すぐに気持ちを収めた。ばっちり予習してきたのに、これだ。少し笑ってしまった。
「最後の、モスクワへって何回も言うところ、すごく良かったです」
敬語前田、続行中。途中がっつり寝てたくせによく言うよ、最後の方は起きてたもんな。
「おおお、ありがと! 面と向かって言われるとやっぱ照れるな~! 名作とはいえ古い作品だし、翻訳劇だから色々見づらいとこもあったと思うけど」
「恥ずかしながら途中で何の話してるのかわかんなくなったけど、ひたすら楓くんを見てたよ」
照れ臭そうに笑う楓くんの周りには、気づいたらすごい人だかりができていて、僕たちだけが楓くんを独り占めするわけにはいかなくなった。
楓くんに別れを告げて、僕らは会場の体育館を後にする。外はまだ夕日の明かりがあった。
「ありゃ、松野先輩なんて霞むくらい人気爆発するだろうなあ」
「松野先輩って響き、なんか懐かしいな。ていうか前田寝てたくせに」
「寝てない」
「僕の肩にもたれかかってきてただろ!」
「首が疲れてきたから肩借りただけ」
「はあ!?」
「真野―!」
前田に詰め寄っていると、後ろから聞き馴染みのある声で呼ばれた。
「あ、石川先生!」
「お疲れー! いやあ、すごかったなー! 感動しちゃったー!」
「先生も観に来てたんですね」
「で、真野はどの役をやる予定だったの?」
「だから、違いますってば! 僕は全然関係ないですほんとに」
「ははは。松原も普段から目立つけど舞台に立つとより一層の存在感だったなー。ザ・華! だよなあ」
「華、」
「前田は、もしかして寝てた?」
「いえ、寝てません」
「ははははは、それは失礼。眠そうな顔してたからつい」
ナイス石川先生。そしてそれでも寝てないと言い張る前田。
「そういや前田、囲碁将棋部は慣れたか?」
「はい、楽しくやってます」
「それは良かった良かった! いやあ~楢崎先生がまだ未練たらたらでさ、お前のこと気にしてたから」
「そうですか」
楢崎先生って……確か、サッカー部の顧問だ。
「それじゃ、気をつけて帰れよ~。あ、真野は明日もこっち来るんだよな?」
「あ、はい。すみません」
「いやいや、俺も明日も観に来るつもりだから」
石川先生に頭を下げて、校門へ向かった。
サッカー部の顧問が前田に未練たらたら、ということは、そういうことだろう。
いつ、サッカー部から勧誘を受けていたんだろう。学校にいる間は、基本的に僕はいつも前田と一緒にいたはずだ。
前田は、黙ったままだった。
僕の知らない前田。僕には、話してくれないんだろうか。でも話さなくていい。僕も聞きたくないんだ。本当は……。
「あいつ、メープル味スルーしたな」
「え?」
「俺たち、ていうか俺、スベった?」
「なに、言ってるんだよ」
沈黙を破って、いつも通り笑い合う僕ら。いつも通りを望みながら、それでも求めてしまうのは何故なんだろう。
学校を離れてしばらくすると、チャイムの音が僕たちのところまで響いてきた。
今日の下校アナウンスは、誰だったのだろう。