第50話 ニンジン
『お前、性格ねじ曲がってんな』
小さい頃、何歳くらいだっただろう。兄にそう言われたことを思い出した。どうしてそう言われたのか、詳しくは覚えていない。兄が、確か自分の好きなものについて僕に熱く語りかけてきて、僕は冷静にそれを聞いていて、何か憎たらしいことを言ったんだと思う。
「真野くん、それ何のニンジン?」
「えっ」
吉森先輩に指摘されて襟元を見ると、確かに細長く切られたニンジンがついていた。
「あはは、お昼の焼きそばパンのニンジンだあ」
川崎先輩が、足を組んだ膝の上で頬杖をついて笑っている。
授業が終わってから重い足取りで放送室に向かったけど、川崎先輩は何もなかったかのように、あっけらかんと普通に接してくれている。
「は~あ、真野くんとランチしたなんて聞いてないよ~。次はわたしとね」
僕とランチなんてそんな素敵なもんじゃないです、みとちゃん先輩。ニンジンをぴょいっととると、襟にシミがついていた。はあ。
川崎先輩に、改めて謝らなければいけない。……謝らなければいけないことばかりだ。
「はいはい! じゃあ早速みんなの原稿見ていきます!」
吉森先輩が仕切りなおすと、僕以外の先輩たちがみんな紙ペラを吉森先輩に恭しく提出した。この土日で作ってきた、コンクールのアナウンス部門の原稿だ。アナウンス部門は指定された課題原稿に加えて、自分で作成した原稿を読まなければならない。自分の技術云々だけではなく、原稿の良し悪しも大きく審査に関わってくる。なので部員一丸となって、何度もお互いの原稿の推敲を重ねるのだそうだ。本番、舞台上でしゃべるのはたった一人でやらなければいけないので個人プレーのイメージが強かったけど、こういった面を知ると、ひとりぼっちじゃないんだなって思えてちょっとだけ勇気が出る。原稿の上の文字たちがあたたかい。
なんて、ほっこり感じ入っている場合ではなかった。
「川崎! いい加減にしなよ! ほんと感じ悪いし真野くんにも失礼だよ!?」
「だってほんとのことでしょ? 褒めてるんだけど! みんなだって絶対そう思ってるよ、真野くんが読んだ方がいいじゃんって!」
「そんなことない! そもそも真野くんは性別も違うし」
「良い悪いに性別とか関係ない! 真野くんが読んでるのを聞いて、あ、真野くんが読んだ方が全然いいじゃん、何これ。って思っただけ、それだけだもん!」
みとちゃん先輩と川崎先輩が言い合いを始めてしまった。みとちゃん先輩と言えば基本的に語尾に「~」がついていて、ほんわかやわらかボイスと喋りで癒し系(ときどき毒)だと思っていたけど、怒ると印象がガラリと変わる。みんなそうかもしれないけど、みとちゃん先輩のはギャップがすごいし声が、強い。だから自分が怒られたら、相当落ち込むんだろうなあ。なんて、またのんびりしてしまった。
「真野くんだって自分で読んでてそう思ったでしょ?」
川崎先輩が絡んできた。
「思うわけないです」
即答する。
先輩たちが書いてきた原稿を、まず作者本人が思うように読んでみて、その後他の誰よりも客観的に見られるだろうということで、今回唯一の不参加者である僕が一通り読んでみることになったのだ。
それを聞いて、川崎先輩が「真野くんが読んだ方がやっぱり良い」と言い出した。
昼間の、仕返しなのだろうか。
「川崎、どうしたの? まだ本調子じゃないんでしょ。川崎の実力なら、そんなに焦ることないよ」
みんなの原稿を片手に、さきぽん先輩が優しくなだめる。チラッとしか見えなかったけど、さきぽん先輩が持つ原稿には、既にびっしりと何か書き込みがされていた。
「別に焦ってなんかないです。冷静に現状を見つめているからこそですよ」
「だから、冷静に現状を突き付けられて焦ってるんでしょ? それを周りに当たり散らかさないで。めっちゃ迷惑。そもそも川崎が少しでもコンクールに集中できるようにって、先輩たちも気を遣って週末のイベントの担当引き受けてくださってるのに。まじ意味わかんないその態度」
川崎先輩とみとちゃん先輩がにらみ合う。
「みとも、落ち着いて。……もうすぐ下校時間きちゃうから、さき、放送お願いしていい?」
「うん、わかった」
「あの」
川崎先輩以外が、僕を見た。