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第53話 ケガ

2022年10月19日

「これ、いつから売ってたんだっけ」

「あ……最近だと思う。毎年5月末くらいから売り出し始めてなかったっけ」

前田の部屋。手土産は、幸和堂(こうわどう)の季節限定商品、梅大福。お見舞い、と言って前田に渡すとあっという間に一つ包みを開けて、ぱくりと食べてしまった。

「うま」

「うん」

前田の鼻に、固定用の白いガーゼみたいなのが貼り付けられている。めちゃくちゃ痛かっただろうけど、思ったよりひどくなさそうで良かった。

外ではゴロゴロ雷が鳴っていて、前田の家に着くちょっと前から雨も降り始めた。

前田の部屋に上がるのは何年ぶり、でもない。中学の卒業式の後、寄らせてもらった。そこで僕は、サッカーを辞めることを告げられたのだ。あの日はとても穏やかな、いい天気だった。前田の部屋は日当たりが良くて、心地よい太陽の光がたっぷり入ってきて、こんな場所で育ったらきっとすくすく健やかな人間になれるんだろうなあとぼんやり思った。僕の部屋は西向きだから、午前中の晴れやかな光はあまり入ってこないんだ。

あ、雨が強くなってきたみたいだ。

「これ、今日のノート」

「ありがと。暗号になってないだろうな」

「き、今日は寝てないよ!」

「うん、ありがと」

「……」

なんだか、前田とこんな風に普通に会話できるのが久しぶりすぎて嬉しすぎて、ドギマギしてしまう。

3月の卒業式の後に来たときは、部屋の中にユニフォームとかボールとか、トロフィーとか、サッカー関連の物がたくさん置いてあったけど、今はもう何も置いてなかった。

「お前、今日部活よかったの?」

「あ……うん。本当は土日に行事があったんだけど、台風で全部中止になった」

朝イチで連絡があり、フラワーアートフェスティバルも野球部の練習試合も中止になってしまった。

僕は放送部のグループラインに『すみません、今日休ませてください』とだけ入力して、学校から前田の家に直行したのだ。

「そっか。野球も中止か」

「……うん」

「これから梅雨だし、赤星も試合やりたかっただろうな」

前田の口から、野球という単語を聞くと辛い。よくわからないけど、とにかく言ってほしくなかった。

「前田」

今日のお見舞いの目的を、忘れてはいけない。

「ごめんなさい」

「なにが」

なにが、ごめんなさい?

「全部」

「ん?」

「まず、その、ソフトボール僕の代わりにやってくれたのにケガしちゃって、痛い思いさせて、」

うまく言葉が出てこなくて、しゃべりながら今自分が何を言ってるのか訳がわからなくなってきて前田の顔を見れずにいたら、突然前田は笑い始めた。

呆気に取られてる僕を見て、前田はますます笑いを大きくした。

「なんで、笑ってるの」

「あははははは、いやだって、だから、別にお前の代わりに手挙げたわけじゃないって、ぷはは、あはははは」

「え、そうなの」

「すごいな、ピンチの真野の身代わりに俺が手を挙げたと、救いの手を差し伸べたと」

「だって、タイミング的に」

そうとしか思えなかったけど。僕がただ自意識過剰なだけだったんだろうか。

「別に、久しぶりにソフトボールやってみようかなって思っただけだよ。サッカーはやりたくないし」

また、心がチクリとした。

「真野、そんなにソフトボールやりたくなかったの?」

「……、そ、そうだよ。ドッチボールだってままならないんだからサッカーだのソフトボールだのできる訳ないし」

「……」

「……」

前田はじっと僕を見つめる。

沈黙は嫌だ。今は耐えられない。

「鼻、痛い?」

「んー、まあ大丈夫」

「痛いよね、鼻にボールって。想像しただけでダメだ、僕」

「まあスポーツにケガはつきものだからな」

「……」

「……」

「お前は、どこをケガしたの?」

え?

何の話だ。

「どこをケガして、トラウマになったんだよ」