第56話 君には似合わない
テレビで野球中継を見るなんて、久しぶりだ。今日は名邦VS海浜バンクの試合。名邦ヴァルチャーズは僕たちの地元が本拠地の球団で、旭前球場の近くにあるリベドゥ・ドーム(数年前まで扶桑ドームという名称だったのに、気づいたらネーミングライツ制度で名前が変わっていた。僕にはまだ馴染んでない。)がホームグラウンドになっている。
「2番、ショート、関口」
中継から、場内アナウンスの声が聞こえてきた。……あれ。
「あ、おかーさん、また男の人だよ」
花梨ちゃんがソファに寝ころんだまま言う。
「そうそう、昨日は女の人だったもんねえ」
「え、今ってウグイス嬢、男の人もやるんですか?」
僕は思わず口を挟んでしまった。小学生の時から、特にプロ野球なんて全然見なくなったから、場内アナウンスで低い男の人の声が響いてくるのにものすごく違和感を感じた。ウグイス嬢と言ったら、あの独特な抑揚の女性の声、という印象しかなかった。
「あっ佳主真くんも初めて聞く? つい数年前から、扶桑ドームのウグイス嬢を男の人もやるようになってね、結構この人の声好きなの~」
「リベドゥ・ドームだよ、おかーさん」
「あそうだ、リベなんとか。他の球場でもチラホラ、男の人のウグイス嬢聞くようになった気がするけどねえ。ウグイス嬢って言っていいのかわからないけど」
「そうなんですか……」
「優磨から聞いてない?優磨もわたしに似て声フェチなところがあるのか、この人がアナウンスする時はかじりつくように見ててね。結構ハマってるよね、お兄ちゃん」
「うん。でもお兄ちゃん、なんか外国人みたいなノリで言うやつは嫌だって言ってた。『せきぐちっとーもやー』みたいなやつ。でもこの人は正統派な感じでわたしも好き」
「外国人みたいに言う人いるの?」
『せきぐちっとーもやー』かあ。ピンチの時もそんなノリでアナウンスされるってことだよね……いや、むしろそっちのがいいのか?
「うん、メジャーリーグは男の人でしょ。そんな感じ」
「ああ確かにそうだね。いつもテレビは野球見ることが多いんですか?」
「お父さんが野球好きでねー。でも何だかんだみんな好きだよねえ、花梨。優磨なんてサッカーやってたのに家では野球ばっかり見てたし、試合もちょくちょく観に行くの、ドームに。佳主真くんも誘ったら? ってよく聞いてたんだけど、まだ一緒に行ったことなかったよねえ?」
「あ……はい」
前田に、野球観に行くの誘われたことなんてないけどな。ずっと、わかってくれてたんだろうな。
ガチャッ
リビングのドアが開く。
「やっぱこのシャンプーの匂いおかしい」
前田がお風呂から上がってきた。鼻のガーゼはそのままだ。しばらくお風呂とか顔洗うのとか、大変そうだ。
「あ! お兄ちゃんもわたしの使ったの!?」
「真野からあまりにも芳醇でいびつな香りがしてきて違和感半端ないから俺も使ってみたけど、キツイ。変えた方がいいぞ、花梨。モテないぞ」
「うるさい! 鼻折れて嗅覚イカレてんだろ!」
花梨ちゃん、兄貴に対しては対応が厳しい。もうちょっと小さい頃はこんな風じゃなかった気がするんだけど……もし僕に妹がいてこんな風に言われていたら、立ち直れる気がしない。
前田は花梨ちゃんの激しいレスポンスをなんてことのないようにスルーして、僕の方に近づいてきた。
「真野、今日は唐揚げだよ。生姜たっぷりの。食べ放題」
「うん」
まだ濡れたままの前田の頭には、タオルが被さっている。この姿を見ると、サッカーをやっていた時の前田を思い出す。練習とか試合の後僕が駆け寄っていくと、頭に被せていたタオルをスッと肩に下ろすのだ。
「生姜の香り、わかる?」
僕は控えめに聞いてみた。そしたら前田は「うん、わかるよ」と言って、タオルを肩に下ろして、少しだけ微笑んだ。